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おれたち働きたいんだ! ルポ年越し派遣村

「皆さんの声が動かした」 厚労省が講堂開放

凍死の不安から解放も入村希望者続々

開放された厚生労働省2階講堂

開放された厚生労働省2階講堂=東京都千代田区霞が関の厚生労働省

 「とにかく今の状況は、『寒さ』が耐えられないんです。こちらに来た人たちは心身ともに衰弱しきった状態で訪れているということです。夜、公園で毛布にくるまったりしていても眠れる状況じゃないんです。もう一晩中歩いて、3日間過ごした人もいるわけなんです」

 派遣村報道担当の関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は2日午前10時から、報道関係者を集めて緊急記者会見を開き、窮状をこう訴えた。

 31日と1日の合計で253人の入村者があり、そのうち宿泊者は223人。相談件数は2日間で108人に及んだ。

 関根書記長はさらに「私たちは最善を尽くして体制を作っていきますが、ボランティアで対応するには限度がある。一刻も早く行政で対応してほしい」と訴えた。

 派遣村村長の湯浅誠・自立支援サポートセンターもやい事務局長は「派遣村に予想を上回る当事者の人たちが来ている。1日100人を超えるペースで増え続けている。このままいったら4日には、500人から600人に達する」と話し、「テントが間に合わない可能性がある。体の具合を悪くする人、最悪(宿泊を)あきらめて帰る人、寝泊まりできる場所が無くて、最悪な場合を迎える人が出てくる可能性もある」と語った。

 その上で、厚労省に対し、①1月5日までのシェルター(緊急避難所)開設・開放②5日以降の居場所の用意を、緊急に申し入れることを明らかにし、「こうなることは(厚労省は)分かっていたわけですね。だからこそ私たちは『派遣村』の開設を決めたわけです。分かっていて何も(厚労省は)してこなかった」と語気を強めた。

 会見後、湯浅村長らは正月休み中の厚労省庁舎に向かい、当直の警備員に「緊急申入書」を手渡し、担当者や舛添厚労相に連絡するように要請。厚労省庁舎前には多くの報道陣が詰めかけ、一時こう着状態となった。

増え続ける入村者


その間にも、次々と入村者は増えていった。ボランティアは、大急ぎでかき集めたテントの増設に汗を流していた。

 実行委員会の1人は「今日も(入村者が)100人ぐらい増える。テレビニュースが流れれば、どんどん増えるかもしれない」と、宿泊場所の不足に不安の色を隠せない様子だった。

 炊き出しの調理に当たっていたボランティアは「厨房のキャパシティーを超えている。(調理可能な)300食のところを、500食に無理して出している」と、増え続ける失業者への食事供給の不安をこぼした。

菅氏が電話交渉


 午後、派遣村に入った民主党の菅直人代表代行が、厚労省の担当者と電話で協議。

 午後4時ごろ、急きょ地元の愛知県から戻ってきた大村秀章厚労副大臣も交えた協議の末、厚労省は、2階講堂を5日午前9時まで開放することに合意した。

 大村副大臣は「私は彼ら(派遣村実行委員会)の行動に敬意を表したい。政治家として彼らの熱意と行動に応える」と記者団に語った。

 村民集会で湯浅村長は「皆さんの声が動かしたんです」と村民を激励。村民はテントから、順番に荷物を持って厚労省の講堂へと向かった。

暖房が完備


 講堂内は暖房が完備されていた。寒空の下にいた村民には、やっと凍死の不安から逃れられる久し振りの人間らしい暮らしだった。村民の1人は「派遣村が無かったら、想像つかない。考えられない」と語った。

 しかし、約250人の村民で埋め尽くされた講堂の光景は「難民キャンプ」から「屋根と暖房付きの避難所」に格上げされただけにすぎなかった。

 一方で、派遣村テントには2日夜にも、新たな入村希望者が訪れていた。(つづく)

(2009年1月8日付「常陽新聞」第1社会面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)