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おれたち働きたいんだ! ルポ年越し派遣村

生活再建へ大移動 「貧困を社会に突きつけた」

茨城から歩いて来た人も

P/霞が関の官庁街をデモ行進する湯浅誠・自立支援サポートセンターもやい事務局長ら「年越し派遣村」の村民たち

霞が関の官庁街をデモ行進する湯浅誠・自立支援サポートセンターもやい事務局長(写真左から3人目)ら「年越し派遣村」の村民たち=東京都千代田区霞が関の路上

 5日午前、日比谷公園「年越し派遣村」で「村民大移動集会」が行われた。派遣村の村民たちは東京都内4カ所の施設に移動して、就職活動や生活保護の申請などを行うという。前日4日夜の村民集会では、実行委から「派遣村は解散ではない。第2次派遣村が始まる。皆さん一人ひとりの生活再建の闘いが始まる」と告げられた。

 4日時点での入村者数は499人、うち宿泊者数は489人。ボランティア登録は延べ1692人。労働相談などの相談件数353件で、そのうち生活保護申請予定は230人を数えた。日比谷公園では午前中からボランティアたちがテントの片付けなど撤収作業に追われていた。

 村民のうち東京都千代田区の区民センターでの生活保護面接者や日雇い仕事などに出た人以外は、正午からの請願デモに出発した。デモにはさまざまな労働組合の組合員たちが応援に加わり、日比谷公園から国会議事堂前までのデモ行進が続いた。

 デモ終了後、参院議員会館で院内集会が行われ、村長の湯浅誠・自立支援サポートセンターもやい事務局長は「12月31日から1月5日まで500人の人たちが、派遣村で命をつないできました。500人は全体からいえば一握りに過ぎません。中には茨城から歩いてきた人、自殺しようとして警官に止められて、保護した警官に連れられてきた人、そういった人が何人も交じっています。その人たちは生きようとしています。生きようとするのを支えられる社会になってください」と出席した国会議員たちに訴えた。

 その上で「きょうまでわれわれは、みんなで一緒に支え合ってきました。国会で、派遣村の人たち、派遣村に来られなくてさまよっている人たち、これから切られようとしている人たちを二度とこういう目に遭わせないように」と、失業者支援対策を要望した。

 出席した共産党の志位和夫委員長は「派遣村は歴史的な仕事だったと思う。路頭に放り出された労働者の命を守る仕事をしたのと同時に、貧困を目に見えるかたちで社会に突きつけた」と高く評価し、新党大地の鈴木宗男代表は「政治は弱い人、恵まれない人のためにある。その原点に向かって、きょうをスタートラインにして、頑張っていこう」と村民を激励した。

解雇と暴力の末に


 村民たちは社民党本部のある社会文化会館に移動し、施設行きのバスを待っていた。ボランティアの一人が記者の前に「茨城出身の人がいるから、話を聞いて」と、ある男性を連れてきた。

 30代まで取手市に住んでいたという男性(47)は、重い口を開いて、これまでの過去を語った。元々はトラック運転手をしていたが、会社側が正社員で採用してくれず、ずっと契約社員のままだったという。2年前の大みそかに荷物の下敷きになり骨折し、労災認定どころか、けがをきっかけに契約を切られた。

 仕事が無くなり、千葉県我孫子市に借りていたアパートの家賃を滞納したため、強制退去させられた。知人をたよって野田市内のアパートに住み、運転代行の仕事を見つけたが、午後7時から午前5時までの10時間労働で日給5000円。売り上げが2万円越せば5500円、同様に2万5000円越せば6000円という歩合制だった。

 だが、運転代行の所長が元暴力団員で、酒に酔うと暴力を振るい、男性もしばしば暴行を受けたという。身の危険を感じて退職し、知人の援助を受けて柏市内のネットカフェで寝泊まりする生活を送っていたが「正月だから(知人に)楽させたいと思い、柏からこっち(派遣村)に来た」という。

 男性は生活保護と一時金の申請を行い、八丁堀の施設に移るという。

 男性は記者に「(社会文化会館前にいる)テレビには話したくない」とつぶやいた。理由をたずねると、「派遣村では新聞記者やNHKの人がボランティアで働いていた。ボランティアから(記者が)『ボランティアの手伝いをしていた』というから、話す気になった」と心境を語った。

 午後4時過ぎ、6台のバスは村民を乗せ、4カ所の施設へと向かった。これから、村民たちの生活再建への苦しい道のりが待っている。(終わり)

(この企画は常陽新聞新社報道部・崎山勝功が担当しました)

※本稿は掲載時の文章に一部加筆してあります。

(2009年1月13日付「常陽新聞」第1社会面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)