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コラム 記者の呟き

 「やっと夢がかなう!めでたい!めでたすぎる!」画家の増山麗奈さんから、ブログ上で励ましの言葉をもらった▼かつてインターネットニュースに記事を書いていた時期に取材でお世話になった経緯があり、「常陽新聞報道部の一員になった」との知らせを聞いて喜んでいた。また、アルバイトでお世話になったコンビニ店のオーナーも喜んでくれて、今では常陽新聞の読者の一人でもある▼18歳で大学進学をきっかけに、岩手県から単身茨城県に出て14年。大学卒業後は就職氷河期に翻弄され、浮き沈みの激しい社会人生活を送った。その間、小説「蟹工船」を地でいくような苦労も味わったが、目標を見失うことなく耐え忍んできた▼私を含めた就職氷河期世代、別名「ロストジェネレーション世代」は、今も経済的、精神的苦境にあえいでいる。「彼らに光を当てる記事を書かなければ」。報道部長から手渡された「記者」名刺と、報道腕章の重みをひしひしと感じている。(崎)

(2008年7月9日付常陽新聞社会面掲載。)


 東京高裁前で「布川事件」の再審開始決定の取材中、まるで映画「クライマーズ・ハイ」に登場する群馬県の地方紙「北関東新聞社」の若手記者のような感覚に襲われた▼初めて体験する全国区ニュースの取材にあたる高揚感、チームを組んで取材する他社を前に「地元紙として負けられない」という気負い、重責を担う緊張感に支配されていた▼翌日、他社各紙を読み、完全に沈黙した。「えん罪で29年近くの獄中生活を送り、人生を狂わされて苦しんだ2人の心情を、どこまで書けたのだろうか」そう考えると、もっと能力の向上を努力せずにはいられなかった▼東京高裁での取材中、桜井昌司さんが支援者の子どもを抱きかかえる姿を見て、「おじいちゃんと孫」を見ているようだった。もし、えん罪が無かったら、今頃は利根町で3年に一度開催される「布川神社臨時大祭」に家族連れで出かけ、祭りを楽しむ人生を送っていたかもしれない。えん罪の罪深さを感じる。(崎)

(2008年7月16日付常陽新聞社会面掲載。)


 「痛ぇ、痛ぇ!」牛丼店の店内に、アルバイトの男子高校生(17)の悲鳴が響いた▼先週木曜日の午後2時頃、牛久市内の牛丼店で業務中の事故が発生した。高校生が食材を運搬中に、厨房の床に置いてあったろ過前の牛丼用のたれ入りの鍋に右足を入れてしまい、抜こうとして転倒。背中から右足にかけて高温のたれを浴びる大やけどを負った▼たまたま店内に居合わせた私は、店員たちと一緒に応急処置をした。救急車が到着するまでの間、高校生の右足を氷水入りバケツに入れ、背中に氷入りの袋を当ててやけどを冷やした。救急車が到着後、牛久市内の病院に搬送され、一命はとりとめたが、全治1ケ月の重症▼翌日には龍ケ崎労働基準監督署の職員が事故の起きた牛丼店を訪れ、店長に「死傷病報告」を提出するよう求めた。おそらく労災は認められるだろう。この牛丼チェーンは東証一部上場企業で「労災隠し」は無いと思うが、万一の時には、証人として語る準備はある。(崎)

(2008年7月23日付常陽新聞社会面掲載。)


 人材派遣会社「グッドウィル」牛久支店に取材しようと向かったが、すでに閉鎖された後で、入口前には閉鎖の告知文が2枚張られていた。「まさにグッドウィルらしいやり方だ」。少しでも同社で働いたことのある日雇い派遣労働者ならば、こんな思いを抱いただろう▼派遣労働者の間では、グッドウィルの業務停止命令の前後から、他の日雇い派遣会社に移籍する動きがあったという。元々いつ仕事が来るか分からないため、派遣会社を掛け持ち登録している派遣労働者は多い▼派遣労働者が労働法規に詳しくないのに付け込んで、法律で禁止の「二重派遣」や不明朗な「データ装備費天引き」など、まさに「労働基準法違反の見本市」▼茨城労働局や県内ハローワークでは特別相談窓口を開設しているが、その日の生活に精一杯の派遣労働者のためにも、都内のハローワーク同様に平日の受付時間延長や土曜も窓口開設などの便宜を図って、彼らに安定した仕事を紹介して欲しい。(崎)

(2008年7月30日付常陽新聞社会面掲載。)