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おれたち働きたいんだ! ルポ年越し派遣村

「これが日本なのか!」

官庁街にテントの群れ 続々集まる宿泊希望者

日比谷公園に設置された宿泊テント

日比谷公園に設置された宿泊テント=東京都千代田区の日比谷公園「年越し派遣村」

 「これが日本なのか!」―。徒歩で10分ほどの距離にある東京・有楽町のネオン街とは対照的に、日比谷公園内にはテントの群れが林立していた。その光景はまるで難民キャンプ。歩いてすぐのところには、厚生労働省などの霞が関の官庁街、高級ホテル、日本プレスセンタービルなどが立ち並ぶ。まさに「日本の中枢」だ。そこに突如現れた「年越し派遣村」。その姿は、日本が抱える貧困問題を可視化した象徴に映った。記者は1月1日の夕刻、昨年12月31日から開設された「年越し派遣村」に入った。

テント間に合わず


 本部テントには続々と、派遣村入村希望者が入村手続きに来ていた。隣接する相談テントでは、再就職のための労働相談、生活保護を受けるための生活相談、病院に行けない人のための健康相談などが行われており、午後6時を過ぎてからも相談が行われていた。

 31日夜の「NHK紅白歌合戦」の合間に放送されたニュースを見て派遣村を知った人や、元日の各紙に掲載された新聞記事を見て知った人も多く、31日時点で約80人だった「入村者」(「村民」として登録した失業者たち)は、1日夕方に約140人に膨れ上がった。

 夕方とあって、食事の炊き出しには長い行列が出来ていた、「食事だけでも450食は出ている。実際は400人以上いる」とボランティアの一人。炊き出しには、テントで宿泊している失業者だけでなく「食事だけ食べに来る」路上生活の失業者も入っているためだ。

 実行委員会の予想を上回る宿泊希望者のため、用意していたテントだけでは間に合わず、公園内にテントを増設していた。だが増設しても宿泊希望者は次々と集まる。

所持金無く徒歩で


 夜10時過ぎ、入村受付にやってきた男性は以前、愛知県にいたという。派遣会社から契約を解除され、東京に来て路上生活者になった。派遣村の話を聞いて、何とか日比谷までたどりついたという。

 ボランティアによると、電車に乗る所持金も無く、歩いて日比谷までたどり着く入村者がほとんどだという。

 時計が11時45分を指したころ、新たに4人の入村者が来て、テント宿泊の手続きをしていた。

 一方、横浜市内から到着し、おせち料理と米5升分の温かいおにぎりを発泡スチロール箱に入れて持参し、ボランティアに差し入れをする夫婦の姿もあったり、「村民」を勇気づけた。

路上よりまだまし


 記者も生活相談用のテントを急きょ改装したボランティア用のテントに入れてもらった。段ボール紙を敷いて、上にビニールシートと毛布を重ね、そこに寝袋と毛布を設置したもので、1つのテントに約10人前後が入ることになった。テント内は底冷えするほど寒く、寝袋に入っても寒さが伝わってくる。多人数のため寝返りを打つことさえできない。

 入村者には、5~6人用のテントが割り当てられ、4~5人で利用しているが、決して広いとはいえない。それでも、ふとんや毛布を掛けて眠れるだけ、路上生活よりはまだましだと話す。ある路上生活者は「(東京の)山谷では毎年凍死体が出ている」と語った。

「派遣村が無かったら…」恐怖のあまり、戦りつさえ覚えた。1日時点で、派遣村は限界に近づいていた。(つづく)

※本稿は掲載時の文章に一部加筆しています。

(2009年1月7日付「常陽新聞」1面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)