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コラム 記者の呟き

 東京の繊維関係専門紙で勤務していた2006年ごろ、当時新入社員の私に「記事執筆用」として"ワープロ"があてがわれた。「ウィンドウズ95」が出た1990年代後半ならまだしも、21世紀にもなってパソコンを使わせない会社の姿勢に「新人いじめか?」と言葉を失った。おそらく20代前半の読者はワープロを見たこともないだろう▼それから年月が経ち、今では日常的にミニパソコンとデータ通信端末を使って、遠隔地から記事と写真を電子メールで本社編集局に送信している。映画「クライマーズ・ハイ」のように、1台の電話機を我先に争って口頭で記事を送る「電話送稿」は過去のものになりつつある▼昔のアルバイト先の先輩は、かつての"過労死寸前"まで酷使されながらも再就職活動をしていた私の姿を思い出しつつ「外でパソコン操作してる姿が信じられない」と、ほほ笑みを浮かべた。その笑顔に「しっかり頑張りなさいよ」と、励ましを受けた思いがした。(崎)

(2009年6月4日付常陽新聞社会面掲載。)


 東京・秋葉原での無差別殺傷事件が起きた"6・8"から1年。8年前の"6・8"には、大阪教育大付属池田小学校の小学生殺傷事件が起きるなど、因縁めいたものを感じる▼8日付全国紙夕刊の特集記事「『恨み』が刃を向ける時」で、作家の朝倉喬司氏は「高速バスジャック事件(00年5月)で3人を殺傷した少年は、確か『あらゆる生命体が僕の敵だ』だとノートに書いていましたね。彼らの論理で言えば、自分に敵対し、自分を迫害するすべて」と述べた上で「彼らの多くが勉強ができておとなしい、いい子だった。自己主張が苦手で自立していない。親がペットのように甘やかす。しつけのつもりで子を私物化する」と指摘する▼荒川沖、秋葉原事件後も、不特定多数を狙った無差別殺人は続発している。「現実すべてが"敵"」と現実社会に恨みを抱える「幼稚なテロリスト」予備軍が多数潜伏している今、「無差別殺人者を生みださない社会」の整備が急がれる。(崎)

(2009年6月11日付常陽新聞社会面掲載。)


 「絵(映像)にならないとニュースで扱いにくい」民放テレビ局の記者がよく口にする。だが「絵になりにくい地味なニュース」でも重要な意味を持つものがある▼龍ケ崎市や牛久市議会で相次いで、国民健康保険に関する一般質問が行われた。牛久市では、保険料未納者に交付される短期保険証の交付世帯が昨年度より増加した。市の担当者は「同じ時期でのデータではない」としながらも「失業などの社会情勢の悪化で増えている」と分析する▼国保は「農家や自営業者の健康保険」だったが、現在では非正規労働者、失業者、年金生活者など低所得層の割合が増えている。両市とも医療費10割自己負担の「資格証明書」発行は極力抑制し、「病院に行けない無保険者」を出さないように努力している▼しかし他県では国保保険証がないため「病気になっても病院に行けない」という事例が報道されている。国保問題は「絵になりにくい」が、市民のためにも地道に報道していきたい。(崎)

(2009年6月18日付常陽新聞社会面掲載。)


 東京・霞が関の東京高裁や中央官庁などに出張取材することが多いが、霞が関に向かう際に、日比谷公園の前をよく通る。4月に来た時は桜が満開だったが、6月には木々の新緑がまぶしかった。思えば、日比谷公園とは何かと縁がある▼昨年7月、報道部に配属されたばかりの私は、暑い中「布川事件」の取材で東京高裁前にいた。取材が一段落した際に、布川事件の元被告の支援者で混雑する日比谷公園内のレストランでカレーを食べながら、新人なりに原稿をどう書こうか考えていた▼今年の1月には「年越し派遣村」の取材で日比谷公園を訪れ、寒空の下でテントで一泊し、凍てつくような寒さを体験した。翌朝目覚めると、公園前を箱根駅伝の選手が走っているのを間近で見た。そして、足掛け5日間の取材を通して、多くのことを学んだ▼近いうち、心身に余裕があれば、大学時代に愛用した一眼レフフィルムカメラを持って、日比谷公園の自然風景でも撮影しようかと考えている。(崎)

(2009年6月24日付常陽新聞社会面掲載。)