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コラム 記者の呟き

 元日から足かけ5日間、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」の取材を行った▼本紙連載企画でこれから読者に報告していくが、取材を進めれば進めるほど、この国の貧困問題の深刻さがうかがえる▼現場では働き盛りの中高年が多い中、20代や30代の若者の姿も見られた。失業、多重債務、複雑な家族関係や人間関係など、多くの問題が横たわる。そのうち、取手市の利根川河川敷や土浦市の亀城公園、水戸市の千波湖公園などで炊き出しが行われる光景が目に浮かんでくる▼だが、これだけ「派遣切り」が深刻にもかかわらず、解雇された派遣労働者や路上生活者に対して、一部政治家やテレビのコメンテイター、一部ブロガーなどが、いまだに偏見丸出しの発言をし、「自己責任論」を振りかざしている▼漫画「北斗の拳」流に言えば「貴様らの血の色は何色だ!?」と怒りをバネに、ネットで「安全地帯からの見物」を決め込んでいる人間に「渾身の一筆」をぶつけていきたい。(崎)

(2009年1月8日付常陽新聞社会面掲載。)


 「君には見えるんだね…、彼らの30年後の姿が…」「はい。将来は彼らが路上で生活する姿が…」▼「年越し派遣村」の取材現場で一緒だった全国紙コラムニストとの雑談で、「派遣切り」された派遣労働者たちの話に及んだ▼派遣労働者の大半は、健康保険どころか雇用保険にさえ加入させてもらえない。そのため"派遣会社の都合"で失業しても失業保険給付は受けられず、収入源が断たれる▼派遣会社の寮を追い出されれば"住所不定、無職"となり、再就職先を探すにも「住所不定の人はダメ」で、アパートを借りるにも「無職の人はお断り」と門前払い。結果として路上生活を余議なくされ"ホームレス"と呼ばれるようになる▼派遣労働者に対して「自己責任」を言う向きもあるが、本来「自己責任」とは株取引など"投資家の世界"の言葉。特殊技能や特別な資格を持たない労働者に対して使う言葉ではない。いつまで派遣労働者の"落ち度探し"をすれば気が済むのか。(崎)

(2009年1月14日付常陽新聞社会面掲載。)


 「『派遣村』にいたのは誰か?」一部全国紙インターネット版に掲載(紙面には非掲載)された記事を読み、暗い気持ちになった▼「年越し派遣村」には、解雇された派遣労働者の他に"路上生活者"もいた。しかし、解雇された派遣労働者と路上生活者の間には本質的違いはなく、路上生活者も「広い意味での失業者」とも言える▼路上生活者といえども、昼は段ボール回収、夜はアルミ缶などの金属回収の"仕事"でわずかばかりの収入を得ている。とはいえ食べるのが精一杯で、貯金して保証人を見つけてアパートを借りることはほぼ不可能。もし「派遣村」が無かったら、凍死体となっていただろう▼問題の記事を書いた全国紙記者はさておき、その記事に「好意的な意見」を寄せるネットユーザーの根底には「人間じゃないから」と、路上生活者を殺害した少年グループの"論理"と本質的には変わらない「路上生活者に対する差別意識」が垣間見える。これほど恐ろしいものはない。(崎)

(2009年1月21日付常陽新聞社会面掲載。)


 「席で待っていたら、真実が歩いてきてくれますか?」ある全国紙自社広告でのキャッチコピーだ。同様に「報道に近道はない」とも訴えている。まさに正論だ▼このキャッチコピーは一部ブロガー、大手インターネット掲示板利用者に対する痛烈な批判とも受け取れる。なぜなら、彼らの共通点は「自分の足で取材しないで、もっぱら新聞社のニュースサイトやテレビニュースからの"都合のいい部分"だけの無断引用」で、無責任なコメントを垂れ流す体質があるからだ▼だが、そういう人間たちほど、社会の問題点を指摘する報道機関、ジャーナリストを「反日的」といいたがる。「年越し派遣村」でさえ「反日集団が企てた集会」と言ってはばからないほどだ▼日本国民が苦しんでいるのを放置するほうがよほど「反日的」のはずだが、なぜ救済しようと動かないのか?自称"愛国者"たちから薄っぺらな「愛国心」とやらを押し付けられるほど、私は物事が分からない人間ではない。(崎)

(2009年1月28日付常陽新聞社会面掲載。)