HOME>コラム

コラム 記者の呟き

 「戦争ものはもういりません。読む人がいないので」と、広島県立第一高等女学校の同窓生が出した原爆追悼文集を横浜市内の区立図書館に置いてもらおうとしたところ職員から受け入れを拒否された、という内容のコラムが、一部全国紙夕刊に掲載された▼図書館の対応を批判することは容易だが、図書館側にすれば文集の内容以前に「読む人がいない本を置いても、本棚の場所ふさぎ」という"論理"を優先させただけのこと。それほどまでに「戦争体験の風化」が著しくなっている▼本紙含め新聞各社ではこの時期「終戦記念特集」を組んでいるが、一部では「悲惨さだけを強調する昔話はもういい」と、戦争の現実を直視するのを拒絶し、「誇らしい日本軍の武勇伝」のみをえり好みする「いびつな愛国主義」に基づいた「戦争美化」という"現実逃避"の動きが見られる▼「戦争美化」という"現実逃避"をせず、戦争の現実と逃げずに向きあうことが、戦死者への供養である。(崎)

(2009年8月6日付常陽新聞社会面掲載。)


 「70年生きてきたけど、(戦前のように)息苦しい生活」終戦企画の取材中、取材相手の女性(70)がつぶやいた▼過去の歴史を振り返れば、現在の経済・社会状況は、昭和恐慌から戦争に突入した1920年代後半から30年代に酷似、と言えなくもない。「100年に一度」の経済危機、小説「蟹工船」を地でいく非正規労働者などの劣悪な労働環境、田母神俊雄・前航空幕僚長ら一部の人間が「北朝鮮の脅威」を理由に核武装を主張…▼しかし、米国のオバマ大統領が広島・長崎の原爆投下責任を認め、核の無い世界を訴えた「プラハ演説」を追い風に核廃絶運動に取り組む市民団体や、「年越し派遣村」に見られる反・貧困運動など、市民が無力だった戦前の日本とは違い、市民の間から「日本を変えていこう」という動きが見られる▼女性は記者に「日本国憲法を実行したら、ほんとに豊かな、やさしい国になる。憲法を守るのは一人ひとり」と、将来の世代に希望を託していた。(崎)

(2009年8月13日付常陽新聞社会面掲載。)


 8月上旬、社内での会議の席上で、後輩記者から知事選・衆院選期間中の紙面に関して「選挙に関心のない人(読者)はどうするんですか?」との質問が出されたが、答えることなく会議は進行した▼確かに若い世代では「選挙に関心が無い」と考えている人がある程度はおり、後輩記者が前述のような質問をしたくなるのも無理はない。先日、関係者との飲み会の席上で、守谷市在住の飲食店女性従業員(25)から「今の県知事の名前も知らない。知事選に何人出ているのかも知らない」と言われた。「政治に関心がある」という若者の話を聞けば、内容が民放テレビの「自称・討論番組」に出演する政治家の過激トークの受け売りだったりする事例も珍しくない▼「政治」は、決して自分とは関係のない「別世界の出来事」ではない。今回の衆院選と知事選は選択に悩むかもしれないが、自分なりの争点で、自分なりの選択を決めて、考えに考え抜いた末の一票を投じてもらいたい。(崎)

(2009年8月22日付常陽新聞社会面掲載。)


 以前、テレビで有名な政治家の講演会の取材に行った際、ある20代の大学生から「サインもらってきて」と頼まれ、苦笑しながら断ったことがあった▼政治について"評論家気取り"であれこれ言う大学生に「今までに投票に行ったことは」と尋ねたところ「一度もない」との答え。その理由は「投票したい政治家がいない」と言い、"有名大学"に通っているにもかかわらず「棄権は白紙委任と同じ」という基本的なことさえ分からない、政治を「スポーツのテレビ中継感覚」で見ている低レベルぶりに閉口させられた▼「政治にもの申す」というのなら、テレビの前であれこれ言うよりも、選挙で実際に投票すべき。衆院選では「小選挙区」と「比例区」で1人2票投票ができる。各党のマニフェストや新聞、選挙公報などをよく読んで、どの候補者、どの政党に投票するか考えて「自分の責任で」投票する。投票もしないで政治を語る、無責任な「観客民主主義」は絶対に許されない。(崎)

(2009年8月27日付常陽新聞社会面掲載。)