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布川事件、再審開始確定 別件逮捕から42年

最高裁、検察の証拠隠し認定

弁護団、取調べ可視化、代表監獄廃止など訴え

支援者から花束を受け取る桜井昌司さんと杉山卓男さん

支援者から花束を受け取る桜井昌司さん㊧と、杉山卓男さん=東京・霞が関の司法記者クラブ

 1967年に利根町布川で1人暮らしの大工の男性=当時(62)=が殺害され現金が奪われた「布川(ふかわ)事件」で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は14日、強盗殺人などの罪で無期懲役刑確定後に再審請求した桜井昌司さん(62)と杉山卓男さん(63)=いずれも1996年11月に仮出所=の再審を認め、検察側の特別抗告を棄却する決定を出した。2人の再審開始は確定し、来年にも水戸地裁土浦支部で再審が開始される。逮捕から42年を経てようやく再審開始決定までの経緯を追った。(崎山勝功)

裁判官全員一致


 再審請求で弁護側は、刑確定後に検察側が開示した①近隣女性の目撃証言②遺留毛髪が2人の毛髪ではないとする鑑定書③取り調べ録音テープを新証拠として提出。これに対し最高高検は「再審を認めるために必要な『無罪を言い渡すべき明らかな新証拠』がなく、高裁決定は判例違反」と申し立てていた。

 最高裁決定は証拠の新規性から「事案を異にする判例を引用するもので適切でない」とし、証拠の明白性に関しても「単なる法令違反、事実誤認の主張」だとして「いずれも刑事訴訟法の抗告理由には当たらない」とした。

 その上で「著しく正義に反する重大な事実誤認」との検察側の主張に対しては「証拠の新規性、明白性を認めて本件各再審請求を認容すべきものとした原々決定を正当とした原判断に誤りがあるとは認められない」として、05年の水戸地裁土浦支部での再審開始決定、08年東京高裁での支部決定を支持した判断を認め、竹内裁判長以下4人の裁判官全員一致で東京高検の特別抗告を棄却した。

 弁護団によると、地裁支部や高裁の再審開始決定では、2人の自白について▽自白は任意性に欠け、虚偽自白を誘発しやすい状況があった▽「殺害自白」は信用できない▽「物色自白」は信用できない▽「ガラス戸偽装工作」は信用できない▽「毛髪鑑定書」は桜井・杉山両人の現場不存在を示している―と指摘した上、目撃証言についても▽「W証言」は信用できない▽「他の目撃証言」も証拠価値がなく信用できないとしている。

再審決定の意義


 弁護団は今回の再審開始決定について、最高裁の白鳥・財田川決定に忠実に新旧証拠の総合評価を行って再審開始を決定したことや、取り調べ初期の録音テープや毛髪鑑定書などの重要証拠を隠した上で「誤った確定判決は見直されるべき」だとの姿勢を明確にした、として高く評価した。

 また「刑事司法手続きへの警鐘」として▽代用監獄(警察署内の留置場)における自白強要▽取調べにおける供述偏重の危険性▽検察官の持つ証拠開示の重要性▽取り調べの全面可視化の必要性―を訴えた。

 県弁護士会は荒川誠司会長名で声明を発表し「最高裁判所がこうした判断を正当なものと認めたことは、無辜(むこ)の救済に道を開くものとして重大な意義があり、高く評価しうる」とした上で「密室での取調べによる虚偽の自白の強要、代用監獄制度の弊害、証拠開示制度の不備による証拠隠しなど、足利事件をはじめ他のえん罪事件にも共通する刑事司法制度の問題点が典型的に表れている」と批判し、裁判員制度で誤った判断を生じさせないための刑事司法改革を求めた。

「別件逮捕」から42年


 2人が29年間も獄中生活を強いられるきっかけとなったのは「別件逮捕」だった。

 1967年10月10日、当時20歳だった桜井さんは、「友人のズボン1本を盗んだ」として窃盗容疑で逮捕され、その後強盗殺人事件について取り調べを受けた。連日の取り調べの末に同月15日「杉山さんと一緒にやった」などと虚偽の自白をした。翌16日には、当時21歳だった杉山さんが暴力行為の疑いで逮捕され、17日に桜井さん同様に虚偽の自白をした。

 2人は裁判では無罪を主張したものの、70年の水戸地裁土浦支部で無期懲役の判決が言い渡され、73年には東京高裁で控訴棄却、78年の最高裁で上告棄却となり、無期懲役が確定した。

 83年に第1次再審請求を水戸地裁土浦支部に申し立てたが、地裁、高裁で棄却され、92年に最高裁で特別抗告が棄却された。この間について杉山さんは「『やっていません』と言ったら、犯人という前提で質問してきた。そういう裁判官に当たったことが不幸」と振り返った。

 96年に仮出所してから2001年に第2次再審請求を水戸地裁土浦支部に申し立て、05年9月に同支部は再審開始を決定。検察側が即時抗告したものの、08年7月に東京高裁は検察側の抗告を棄却。同月に特別抗告を最高裁に起こしたが、今回の抗告棄却となった。

 「42年間で苦しかったことは」との記者団からの質問で、桜井さんは「無実の罪で刑務所に入るのはつらい」と述べた上で「あれ以来、いまだに腕時計ができない。腕時計から全身が締め付けられるよう」と、手錠をかけられた後遺症に苦しんだことを明かした。杉山さんは「一番苦しかったのは、最高裁で上告棄却で刑が確定したとき、人生終わったと思った。うその自白をしても裁判官は分かってくれると思っていた」と胸中を語った。

 逮捕から42年。当時20代の若者は現在、還暦(61歳)を過ぎるまでになった。

(2009年12月21日付「常陽新聞」1面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)