HOME>特集

特集

年末回顧2008年

布川事件再審開始決定から一転、特別抗告へ

誰のため、何のための特別抗告か

布川事件再審開始決定

再審開始決定の記者会見をする桜井昌司さんと杉山卓男さん=7月14日、東京都千代田区の弁護士会館

 「40年無実の罪で人生を奪われたことについて、率直なお気持ちをお伺いしたいのですけど」。7月14日の布川事件再審開始決定が東京高裁から出された直後に開かれた支援者集会で、桜井昌司さん(61)と杉山卓男さん(61)に質問をぶつけてみた。

 杉山さんが「あんまりないですね」と答えると、会場は笑いに包まれたが「中にいたときはもう、絶望的な感じで…、人生を奪われて、青春も奪われて。でも出てきてからは結婚することもできて、子どももできて、何か普通の人の感覚で生活できましたので、出てきてからはあんまり『苦しい』ということはなかったですね」の答えに人間としての誇りをのぞかせた。

 桜井さんは「41年前ですけど、私は刑務所にいたときから、中で失うものよりも中で得るものを楽しんで生きていくようにがんばってきました」と述べた。その上で「こんな60歳いないんじゃないんですかね。崩れかけた家の中でえん罪について語るなんて」「いい人とたくさん巡り会えましたね。そういう出会いをしたということはすごく幸せですね。いろんなしがらみに縛られないで『"えん罪"という純粋な部分で人を助けたい』という出会いでしたね。これから勝っても喜びを忘れずに頑張っていきたいですね」と語り、支援者から拍手を浴びた。

 事件発生から41年。無実の罪で刑務所に29年も投獄され、人生の約3分の2を「布川事件」で振り回されたにもかかわらず、支援者に支えられて、気丈にもここまで頑張ってきた姿があった。

 だが22日夕方には、東京高検が最高裁に特別抗告を申し立て、事態は一転した。さんざん待たされて届いた結果に、記者会見では「随分待たせて、やってくれましたね」(杉山さん)「検察につける薬はない」(桜井さん)と怒り心頭だった。柴田五郎弁護団長が「舞台は最高裁に移る。場所も日本一なら、相手も最高検。相手にとって不足はない」「正義はわれにあり」とのコメントに、2人や支援者たちは勇気づけられていた。そして夏の日も秋の日も、最高裁前や東京・有楽町の繁華街、土浦駅前などで無実の訴えに力を尽していた。

 「布川事件」の責任は捜査機関と裁判所だけではない。一部週刊誌では、41年前の「犯人視報道」を反省することなく、再審開始決定での「手のひら返し」の在京紙報道の無責任ぶりを批判していたが、前任者の過ちは後進の記者たちが改めていかなければならない。

 これから裁判員制度が導入される。裁判員となった市民は、映画「12人の怒れる男たち」のようにきちんと自立した判断ができるのか。「疑わしきは被告人の利益」の公理にくみするのか、それとも周囲の「KY(空気読め!)」に流されて、布川事件と同じえん罪の過ちを犯してしまうのか。私たち一人ひとりが問われている。(崎山勝功)

(2008年12月26日付「常陽新聞」1面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)