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県内でも派遣切り

派遣切り苦に自殺も

茨城不安定労働組合

労働相談を呼び掛けるチラシを配布する「茨城不安定労働組合」と「フリーター全般労働組合」の組合員たち=土浦市荒川沖のJR荒川沖駅改札口前

 雇用情勢の悪化や、直接雇用義務が生じる3年間の期限を迎え、県内でも年度末の派遣切りが相次いでいる。実態がなかなか見えにくい中、県南地域を中心に派遣労働者など非正規労働者の支援に取り組む「茨城不安定労働組合」(不安労)では、電話相談などを実施し、孤立化しがちな非正規労働者の支援に取り組んでいる。実際に「派遣切り」に遭った当事者からは、社員寮を追い出され路上生活を余儀なくされたり、派遣切りを苦に自殺したなど深刻な状況が浮かび上がっている。(崎山勝功)

「元同僚が自殺」


 同不安労に相談を寄せた一人の男性(48)は、派遣切りで住居を追われた。以前は守谷市内の派遣会社の寮に住んでいて、自動車のエンジン部品を作る工場で働いていたという。

 今年1月末に解雇を言い渡され、1カ月間は寮にいたが、3月初めに寮を出て、東京・新宿で路上生活を余儀なくされた。

 偶然見たテレビ番組で、都内の「フリーター全般労働組合」の存在を知り連絡。現在は「自由と生存の家」(同労組などが運営している共同住宅)に住んでいる。

 3月13日、以前住んでいた守谷市内の寮で同じ派遣会社に勤務していた元同僚が自殺し、男性ともう1人が遺体を確認した。駆けつけた警察官の話によると、3月9日ごろに首吊り自殺をしたという。元同僚は2月25日に解雇され「派遣切り」を苦に自殺したとみられるという。

「減産で雇い止め」


 県南に住む別の男性(42)は、地元の半導体工場で働いていたが、昨年12月9日、1カ月後の退職を言い渡された。理由は「金融危機の影響で工場が減産した」ため。本来は4月中旬までの契約だった。雇用形態は請負社員だという。

 男性は自宅から工場に通っていたが、社員寮もあって、寮住まいの人が比較的多かったという。雇い止め後は実家に帰った人もいるが、「寮を追い出されるような感じになった。再就職するにも製造業の求人はほとんど無く厳しい」と話す。

 男性を支援する同不安労によると、現在男性は、職場復帰を求めて、派遣元と派遣先企業に対して団体交渉を行っているという。

危機感薄い行政


 不安労は、派遣切りに遭った組合員の生活保護申請に同行などにもしている。

 県南地域に住む男性と一緒に地元市役所を訪れ、生活保護を申請した際は、申請は受理されたが、小口資金の仮払いを求めたところ市役所職員から「ありません」と拒否された。男性は生活保護費が実際に支給されるまでの期間の生活費にも困窮していた。

 職員からはさらに「(仮払いの制度が)あるとしたら社会福祉協議会の貸付制度(緊急小口資金貸付制度)しかない」といわれたという。

 この男性が勤務していた職場では約100人の派遣社員が契約解除されていた。しかし、職場の所在地の市役所への相談は「ほとんどない」(市役所職員)など、行政の危機感は薄いと不安労は指摘する。

潜在化から可視化へ


 不安労では、潜在化している「派遣切り」に遭った派遣労働者などへの呼び掛けに取り組んでいる。

 3月1日には「茨城ユニオン」と合同で、「茨城派遣切りホットライン」を実施。県内各地から15件の相談が寄せられた。相談の約半数がいわゆる3月末での「派遣切り」で、労働者にはほとんど説明もないまま、3年以上働いている人を「雇い止め」する事例が目立ったという。

 また、4月6日には「フリーター全般労働組合」と合同で、JR荒川沖駅改札口前での労働相談を呼び掛けるチラシを配布。土浦市荒川沖周辺や守谷市、常総市などで派遣会社が借り上げているアパートの郵便受けにチラシを配布するなどして、「派遣切り」に対して泣き寝入りしないように呼び掛けている。

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 現在、茨城不安労では、派遣社員・請負社員・パート・アルバイトなどの労働相談を受け付けている。相談窓口は(電話090・1749・2437)、Eメールkick06@gmail.comまで。

(2009年5月6日付「常陽新聞」1面掲載。日付、肩書きなどは掲載当時のまま。)